2011年3月11日に発生した東日本大震災は、平成が終わろうとしている今日でも街のあちこちに剥がれない絆創膏が残る。震災後、友人と赴いた岩手県久慈市では海の景色を遮ってどっしりとした白いコンクリートの壁が高く、長くそびえていたの覚えている。

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震災は世界中に伝わり、手を合わせる人、歌をうたう人、蝋燭に火を灯す人、音楽を奏でる人、
様々な表現によって哀悼の意を届けていた。そのなかで『9.03M』はゲームという表現に哀悼の意を込めた作品だ。 


スコットランドに拠点を置く開発チームによる一人称視点のアートスタイルの作品で、タイトルについては明確なソースは見つからなかったが、おそらく発生したマグニチュードだろう。 


ゲームは海岸の砂浜から始まる。内容は白く瞬く蝶を追って砂浜に現れるオブジェクトを見つけていくショートストーリーで15分程度もあれば終わる。しかしながら、そこには製作者が抱いた想いを垣間見ることができる。 


蝶を追っていくと黒い人影があり、近づくと影が消えると同時にオブジェクトが現れる。少年の人影にはサッカーボール、夫婦の人影にはベビーベッドのように。「もの」が物語る人の命がそこにはあるのだろう。 

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この作品はサンフランシスコを舞台としている。その理由は津波による残骸が、2年かけてサンフランシスコ海岸に漂着したことがきっかけだったそうだ。したがって、この作品は日本が描かれているのではなく、あくまでも震災に対して「外」の視点から作られている。 


私は彼らがゲームを通して、容易に被災者や被災地を代弁しなかったことを高く評価したい。犠牲となった多くの人に対し、謙虚に想いを寄せたからこそ、彼らはその危うさを感じているはずだ。仮に安易でセンセーショナルな作品だとしたら死体や瓦礫がつくられていたことだろう。この作品にはそのどちらもなく、ただ静かに佇んでいた。 


もっとも、このゲームで届けたのは想いだけではない。現在は無料で公開されているが、有料だった頃はその売上を震災支援活動団体に寄付していたそうだ。ゲームは娯楽であったり競争を楽しむ媒体かもしれないが、2013年に配信された当時、私はゲームに対する新たな側面を発見した気持ちだった。そして今もなお日本人として彼らの行動に敬意を表するばかりである。 

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